●【読みたい】 向田邦子 - 父の詫び状
向田氏の文章は、まるで彼女が得意としたテレビ台本の世界のように、
切り売りして折りにつけ目に触れ、心に断片的に残っていることが多い。
特に大学受験をしたものなら、なおさら問題文として触れている。
表題作の「父の詫び状」も、その意味では縁が深いと言っていいだろう。
| 父の詫び状 | |
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■昭和初期ながら
時代としては彼女が育った昭和初期ながら、懐かしさを感じえない過去を振り返る。
私たちが振り返るときは時代というのは平行線が右に伸びていくことである。
つまり、ある世代を振り返るときに何が起こったのかと言うことを同時代的に
見ていくのが手法であることが多い。
しかし、彼女はある事柄についての感想を再構成する。
平行線ではなく垂直に。
だから、見えることのない視点をVividに描き出すことができる。
飾ることのない率直な文章から見え隠れするのは、自らのことを語らないスタイルと
それを周りの人からにじみ出すような手法をとったという鏡の裏表みたいなスタイルです。
■理不尽な父親
表題の通り、父親の詫び状というのが今回の大きな切り口の一つ。
ある社会学者が昔、
「子にとって母親とは世界である。父親とはその世界を乱す異界の物である。
そんな父親というのが理不尽な世界がある、ということを子理解させる」
というのがあったけれど、まさにそんなものだ。
納得のいかない事をふつうにいって、許されるのが父親。
メタ的問いをたて「なぜエラいのか」なんてことは問題ではなかった、
そういうなのが昭和の父親だったのです。
かくいう私も昭和の年のいった父親だったので、特別感覚が身にしみているだけに、
「papa」なんて口が腐ってもいえない次第です。
■死と隣り合わせ
彼女はご存じに飛行機事故で惜しまれながら世を去りました。
しかし、彼女は自らエッセイの中で死という物を再解釈していました。
それほどに昭和というのは、というより死を隣にしてきたような社会というのが
古代の日本から綿々と続いてきた歴史なのでしょう。
今のように死を不浄とすることで忌避する文化は、近代日本の罪といえる部分であり、
だからこそ死を消費するような文化になってしまうのではないでしょうか。
氏の文章の中には、
「隣の犬が死んだ」
みたいに人の死が取り扱われています。
人の死なんて、悲しむことができる親族をのぞけば、最初からその程度の物かもしれません。
初版は1981年。
生きていれば70近い彼女の死を悼んで、Review終了です。


ユーモアの中にどこか寂しさを覚える一級品のエッセイ