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2005年05月22日

●偽善的行為で救われる世界に、人間が存在する。

こうでなくてはならない、という真四角な考えしかできない人もいる。
人間、最終的に自分の知ってることしか話せないという点では究極として全員が真四角な考えになる。

だけど、そうはありたくないという気持ちもあったりもする。

大事なのは、自分が言っていることが常に正しいことであるのかを検証出来る気持ちを持つことだ。

例えば4年間習ってきた地球環境を守る、といったようなこと。
守るという言葉が持つ傲慢な意味もさることながら、元々地球環境を破壊しているのは誰あろう、守る立場にいるはずの人間なのだ。簡単な解決方法は、今人間が全ての経済活動を辞めて絶滅すればよい。

そもそも弱肉強食が発生するのが自然界だとしたら、私たち人間が此処まで存在し繁栄し得たのは、DarwinのいうFittestであったからに他ならない。それならば、人間ほど適応し得ていない他の動物や植物たちが滅びていくのも自然の摂理に他ならない。

あれがまずい、これが良くない、というニュースに騙されてはいけない。
地球温暖化とて、地球全体のサイクルの中では起こりうるVariableの一つに過ぎないかも知れないのだ。それに対して、無用な危機感をあおり立て行動を起こそうとする者達がいることは、腹立たしいと言うより反対意見を許さない、正論だけをほしがる人間の心理構造に原因がある。

利己的でしかありえないのならば、人間はこれ以上存在することが許されていないのかも知れない。相互のコミュニケーションが広がり世界中の人たちと繋がることができたことによって、無用な欲求が刺激され消費が加速されるとしたら、コミュニケーションができなかった原始社会の方がよほど環境には良かったのではないか。

ああ、自分がいってることが一番偏ってるな、という夢オチ的な結論で話をやめるわけだけど、最終的には偽善行為といえども社会を救うかも知れない、という一見納得のいかない道理が世の中を牛耳っているという、酒でも飲まないとやってられない理論の話だった。

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写真集も新装開店。
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コメント

うーん、たまたま見たらすごい難しい話で俺もどこまで理解しているのか分からへんけど、考えさせられるな。

>あれがまずい、これが良くない、というニュースに騙されて
>はいけない。

賛成です。
メディアが大衆の意見をコントロールしてしまってる部分は大いにあると思います。偏りがちなメディア報道があるからこそ個人個人のメディアリテラシーてなもんを高めていく必要があると思います。
でも「ものを伝える」ってことはどうしても1つの視点からでないと伝えられないと思います。だから中立な報道なんてものはあり得ないのではないかと思います。
いかに中立に近づいた報道をするか、それがメディアの目指すところではないかと考えています。

>地球温暖化とて、地球全体のサイクルの中では起こりうる
>Variableの一つに過ぎないかも知れないのだ。それに対し
>て、無用な危機感をあおり立て行動を起こそうとする者達が
>いることは、腹立たしいと言うより反対意見を許さない、正
>論だけをほしがる人間の心理構造に原因がある。

これにはあんまり賛成できないです。「無用な危機感をあおり立てる。」

無用なんかな?「1999年7の月、地球は滅亡します。」あれは無用でした笑 

でも、「温暖化が進んでいる」「世界の砂漠化が進んでいる」と先進国の人間に危機感をあおることはむしろ必要やと考えてます。

地球サイクルの中では起こりうる出来事やったかもしれないけど、人間の森林伐採、大気汚染、都市化などが原因の一つになっていることは明白です。

危機感があったからこそ京都議定書が批准されたんやと思います。

今までは経済発展が人間を豊かにする=素晴らしい っていうのが正論だったわけでしょう。それが色々な事実が元になってその正論が崩れて、やっぱり環境も守らないと!っていう正論になってきてるわけですよね。でもアメリカだけは昔の正論を崩せてないってのはありますが。。。
誰にも否定できない事実を突き出された時に人間は自分達が持っていた正論をやっと変える事ができるのかなーと感じました。

>最終的には偽善行為といえども社会を救うかも知れない、と
>いう一見納得のいかない道理が世の中を牛耳っているとい
>う、酒でも飲まないとやってられない理論の話だった。

なんか高校の時からよく思ってたんですが・・というのも偽善と言われていた先生がいたので笑

偽善って悪いんですかね??
偽善ってことは、まあ善い人を演じているわけなんでしょうが、その人は外見的には善い人なわけですよね?

偽善で500ドルアフリカに送りました。っていうのと、僕は偽善者ではないので、アフリカには何も送りませんっていう人がいたら、アフリカのためになってるのは偽善者の人なわけです。。 それが偽りであっても善いことをしているんだったらいいんではないかなと感じます。

まあでも無責任な優しさや、憐れみっていうのが一番タチが悪くてやってはいけない事やとは思いますけどね・・人の目にだけは善く写って、実際その人のためにはなってないっていうような。KCが言ってるのもそういう意味なんかな。


長々すいません。
自分の読み取り方が偏っていた気もします・・もしKCが意味していない文章のとらえ方をしていたら申し訳ないです。

それでは。

>無用な危機感
確かに原因の一つではあるけど、何かに矛盾が多いのが
みてて腹立たしいのかもねぇ。
大企業がものを売っておきながら、反面で社会的責任を果たそう、みたいな感じが。

性善説性悪説みたいになるけど、止めることができるのかなと
無力感を感じることもあるのです。
生きている限りこのような生活を続けるわけやろ?
なら、身の丈知ってここらでのあの箱船化するのも手かと。

どのぐらいの比率で影響しているのかがわからないことも
また問題かなと思うのよ。
つまり、人間がやってきた環境汚染(とよばれるもの)が自然の浄化作用をどこまでOverしているのか、とかね。

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