« PHT:夜の道とパラレルワールド | メイン | イラク邦人誘拐・続報10 - イラク人から日本政府に向けてメッセージ(高遠氏編纂) »

2004年04月17日

●無知の知-"知らないと言うこと"を知る

おいらが高校生だった頃、もはや4年も前になるわけだけど、現代社会という授業があった。なんでも約して呼んでいた高校生らは「ゲンシャ」と約していたわけだけど、その授業は先生が楽をしていたにもかかわらず結構好きだった。社会のことを学べるし、それが現実社会に即していることがその他の学問的なものより、自分の血となり肉となっている気がしたからだ。

その中で、特に覚えている言葉が「無知の知」という言葉である。これはタイトル通り「私が何かを知らないと言うことを認識する」ということだ。


(続き読みたい方は、>>See all textをおしてね)

▼昔話:ソクラテスと無知の知

時は紀元前、哲学者であり、またギリシャのクリスチャンと呼ばれたソクラテスがギリシャ神話の神アポロンにこんな神託を受けた。

「誰よりもソクラテスより智恵のあるモノはいない」

と。ソクラテスは自分より智恵のあるモノを探してこの論を否定しようとしたが、数多くの智恵あるモノと話をするうちにこんな事に気づいた。

「知らないと言うことを認めるモノがいない」

賢者達は自らが何でも知っていると考え、知らないと言うことを認めることがなかった、というのだ。しかし、ソクラテスはそうではなかった。知らないと言うことを知っていた。つまり無知の知を認めていたわけだ。

こうしてソクラテスは神託を正当なものとして、「知らないと言うことを知っている私が一番賢いという神託は正解だ」と理解した。


▼知らないことを知らないと言えなくなった今の社会

知らないことは恥だ、そう考えて人は一生懸命勉強しようとするわけだけど、それでも世界全体のことを知ることは当然出来ない。でもやはり世の中にはその知識を量的なモノと考えて、それを取得することこそが普遍的な目標であると考えられている部分が大きい。

日本にいるときもそれは思っていたが、海外では自己主張が強いだけに余計にそう感じる部分がある。今回トラックバックさせてもらった紅豆-RedBeans-さんのエントリー、無知の知?ではなされているようなことは結構日常的に感じられる。確かに中国人はその気が強い気がするけれど、友達のフランス人も結構…って思ってしまいますが^^

こう考えると日本だけじゃなく世界中で広がっている情報化社会の悪影響なのかなぁと思ってしまう。情報はストア(保存)するもので、情報は量が多い方がよい。そういう風潮が広がるに連れ、人は機器の持つ情報量を自らの情報と勘違いし、無知の無知という状態に陥っていくんじゃないかなぁ。

企業に入れば知らないということはもっと致命的になる。血眼になって情報を集めて回るもその情報を使いこなせないと意味がない。


▼無知の知と情報の質 -人間だけが出来ること-

一つは、情報は量ではなく質で考慮すべきだと言うこと。そしてそれが現段階では機械には出来ない人間だけがもつ誇るべき能力だと言うこと。
何GBと保存できるハードディスクに人間の脳が勝てるわけがない。それならば人間はその大量な情報に流されるのではなく、質の良い情報を選び取ってそれを利用していかなくては行けない。とても大変なことだけれど、それはこれからのジンセイに必要なんじゃないかな。

もう一つは、無知の知を認識すること。知らないで判断している事ってのは実はほんとに沢山ある。おいらもその一人だろうし、後でしったかしてて恥ずかしくなること、沢山ある。自分の知っていることから推論して考えてみることももちろん大切なことだけれど、知らないことを知らないといって知っている人に教えてもらうのはとても意義のあることだと思うし、大切なことだ。

また、無知の知ということを濫用して開き直るのもせっかくのチャンスを無駄にしている。"三無主義"(無気力、無関心、無反応)だとか言われてきた世代に育ったわけだけれど、今や「そんなこと知らない。だから自分の知ってることしかやらない」というさらに悪化したチャレンジ精神のない人も増えてしまった。

人は本来Philosophist(智恵を愛する人)である。そして智恵は何か蓄えたりするものではなくて、もっと活用してこそ生きるモノなんだなぁと。学習する組織、などと経営の世界では言われて久しいが、もっと個人個人が知らないと言うことを認めてそれを周りがサポートできるような環境になればいいなぁと思う。

裸の王様はもうたくさんだ。



▼あとがき

「なぁーこれってどういう意味なん?」と親に尋ねたら、大体の場合は辞書を渡され自分で調べる羽目になってしまった幼少時代。親が面倒だったのかな、って思うときもあるけれどそうやって知らず知らずのうちに辞書を引く癖をつけてくれたのは感謝している。

今では紙ベースの国語辞典なんてあまりさわる機会がなくなってしまったけど、その他の類語辞典や故事成語辞典なんかは机の上でいつでも待機してくれている。智恵っちゅーのは日
常のちっちゃなちっちゃな積み重ねだったりするわけか…としみじみ思ったりする土曜の午後。

英語の勉強をしていたときも、妙に固執して電子辞書は買わなかった。電子辞書を使えばあほになる、そう思っていたからだった。それはある程度真実だと今でも思う。なぜなら、紙ベースの辞書は余計なモノが絶対に目に入る。開けたページあった挿絵だったり、昔自分が引いた線だったり、昔調べた単語だったり…。そうやることで調べる目的だった単語よりも他の単語に目がいってしまったこともたびたびだった。

「これってどうやるの?」って人に聞くことは確かに効率的だし早い。
しかし、辞書の例みたいに遠回りすることで得られる事ってのは沢山あるんだ。何かを自分で調べてみること、これ楽しいよね。遠回りすること、これはきっと意味のあることなんだと思うわけですな。

ADs:fotolog - "I heard she said..."

写真集も新装開店。
20041220_DSC_2444.jpg 20051129_DSC_2696.jpg 051012_DSC_1889.jpg 051004_DSC_1579.jpg 20051211_DSC_2733.jpg

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://skyportrait.net/cgi/mt/mt-tb.cgi/1331

トラックバック

» 無知の知 from 困ったちゃん
無知の知 ?かなりおおざっぱに言えば? 「自分が知恵・知識がない、ということを自分で認識すること」 これは開発などの仕事をしていれば 特に気をつけている 言葉です。 新規開発などで 今まで経験していない分野になれば  はっきり言って 「素人」 同然だと思... [Read More]

コメント

なるほどね~
 そうやって自分で調べ物しているうちに、脱線していくことは度々ですが(汗)。

 大学一年のときから使ってきた教科書・ノート類は、未だにぜーんぶパソコン内や棚においてあるし、よく引っ張ってきては調べたりしています。オカゲで勉強する時は、たいがい散らかり放題ですが。

 私もこっちに来てから、日本語をすぐに聞ける人がいなくなったので、ペーパー国語辞典よく使ってます。あと良く使うのは、オックスフォードの化学辞典?(Dictionary of Chemistry)で、用語とかジェネラルなインフォが欲しいときに良く調べます。(だってネットつなぐの余計に時間掛かるもん・・・←未だダイアルアップ)

 ちなみに、ワタシたぶん上に書かれていた「無知の知開き直り症候群」だわ。知識偏りすぎ~

またまた「無知の知開き直り症候群」のあいこです。就活で短所は?って聞かれるんだけど、これなんよね。あたしの場合、興味ある分野以外はあんまり知ろうとしないんよね。でも総政にきてちょっとは変わったかなって思う。周りの人の人に刺激を受けることが多いかな。特に一回の頃に出会ったけーしの影響は大きかったと思います。

いつも読ませてもらってるんだけど、やっと今日にしてコメントを…(^^;)

私も高校の現社で、「無知の知」をならったよ。私はもともと社会が好きだった上に、社会の先生はすごく話が上手だったから、なんでもすごい勢いで引き込まれて真剣に話を聞いていたな。その中でもソクラテスのこの話は印象に残ってた。だからみたときに「あ!」と懐かしく思ったよ。(^^)

ところで哲学者とか学者の話を聞いたり、著作を読んで時々思うのは、その内容の理解しがたさのために、彼らは私とは違う頭の構造してるのかな?ってこと。どうなんだろう。。。(--;)

> aki

文系はそこまでするかどうかわからんけどなー辞書はよくひくね。なににつれ、頭に入ればいいしね。何回も見てれば覚えるし♪


>あいこ

いやいや何もしてないですよ、おれは。なかなか興味のある分野以外は知るのが大変だよねー軽くさらうだけでもやってみると興味がわくかもね。


>ゆか

どうやって考えついたんだろう、って不思議になるときはあるよねー。でもなんか屁理屈をこねているだけでいっつも何考えてるんだろう、この人らって思うときはあるよな。笑

コメントする