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2004年04月08日

●続・一人であること。

色々反響をもらったんで、ちょっとそこから思ったこと、みたいなんをもう一回エントリーにしてみます。いろんな意見をくれた人、ありがとうございます<(_ _*)>

思ったことをつらつらと書いてます。


(続き読みたい方は、>>See all textをおしてね)

・自立する、ということの価値

読んでて自分の前提にしてたのは、「自立するということに価値がある」とそう考えていたことが分かりました。独り立ちして、あまり頼らないようにするのが人間の最後の仕事っていうか、目標であるべきだ、みたいな。

これは、結構こっちに来てから考え方が強化されるようになった気がします。個人主義というか、それぞれが一人で考えてみるということを重視している文化だから、かも知れないです。

自立することに価値があるか、という問いに対しては、私の回答はYes、あると思います。同時に価値とともに損失もあると思いますね。自立することによって、他の人と過ごす時間は必然的に減り、少し損失がそこに発生するんでしょう。

その損失は、私は本当の意味での「そん」であるとは思わないです。依存しながら生きていた関係は必ずしも必要な分けじゃない、、、とそう思うのです。


・他者に依存しながら、他者から自立しようとする


同時には存在しない筈なんですが、なぜかこのふたつは切っても切れない気がします。依存してるからこそ自立しようとするわけですね。でも、実際に自立した人は、他者に依存していないか。絶海の孤島にでもいない限り難しいですね、究極的には。


・依存するとはもともとなんだろ?

依存するとは他者無しでは存在できない、ってことじゃないんですよね。これは最初のおいらのエントリー内で言葉が使えてなかった証拠です。このヒントは今日ちょっとご飯食べたひとが口癖みたいに使ってたんですが、おれが言いたかったことは、
「他者に依存しない」
ってことでした。そして、者、という人間だけではなく、人間関係やものにも依存しないようにしようってことだったんです。


・他者の行動があって、自分を認識する。

これはさださんのコメントから取り上げて居るんですが、つながりが結構難しいな。
ビンタをすることで、子どもは自己の認識が出来るってことだよね。
これが無視をすることだったら子どもは自己の認識が出来ない。

解釈としては、
人は他者の行動が伴ってこそ、自己の認識をすることができる
ってことか。

難しいな。

人間は一人で存在しうるか。。。

土地とかあれば、別に問題なく生きては行けるよな。戦後何十年と隠れていた人は会話してなかったんだろうし。

と、いうことは存在するっていうことは、社会的にっていう注釈が居るわけか。社会的に存在するかどうかは他者と自己との関係によって決まる…わけか。

もう少し考えます<(_ _*)>  おばかですんませんw 誰か助けて、笑


Originary published on 2004-04-06 02:04:06 "一人であること"

一人であることってどういう事だと思いますか?

友達が居ないことですか?
恋人が居ないことですか?
親が居ないことですか?
頼る人がいないことですか?
尊敬できる人がいないことですか?

(続き読みたい方は、>>See all textをおしてね)

一人であることに耐えられない人増えてるよね。恋人作らなきゃ生きていけない人、いっぱい居るよね。弱いから、寂しいから、人がいないと駄目だから。

言い訳はいくらでもできるけど、人間はやっぱり一人だよ。どこまでいってもどこまで友達が出来てもやっぱり一人だよ。

一人だから、恋人が居ることの幸せがわかるんじゃないかな。
一人だから、友達を支え支えることができるんじゃないかな。
一人だから、親の愛情が如何に貴いかわかるんじゃないかな。

一人だって事を恐れない。
これが一人で入れる条件だ。たった一つの条件を守れずに、人を傷つけるぐらいならおいらは一人を選ぶ。

留学前にいただいた言葉は、
一人のつらさ、楽しさを味わって、新しい自分が作れる喜びを感じてください

そばにいてくれた人に、
ありがとう。

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写真集も新装開店。
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コメント

こんばんわ、kさん。遊びにきました。いつもコメントありがとう。

このエントリーなかなか面白いと思うんだけど、僕は発想が逆だと思うんだ。
人間は一人じゃない。一人じゃ存在できない。でも、それに気づかない人が増えてるんじゃないかと思う。
自分ひとりで育ってきました、みたいな。だから、親のありがたみも、先生や恩人のありがたみにも気づかずに、孤独だ孤独だと言ってる。挙句に安易な安らぎを求めてる。
存在というのは誰かに認知されて初めて意味をなすんです。それが人間の社会性というものです。
自分は一人だと思う前に、自分を存在させてくれている他者に気づくべきじゃないでしょうか。

少しでしゃばりました(笑)

>ryyoさん

深いコメントありがとうございます♪

>一人で存続できるかどうか

一人じゃ生きていけないってのも思います。社会的な存在としての人間は、一人じゃ存続できませんよね。
ありがたみを感じずに孤独を気取っている→安易な安らぎを求めてる…か。

ここらへんは似てるところですね。

うまくまとめ方が見つけられないんですけど、その独立性っていうか、自己確立をする際の方法の違いって感じですかね☆彡
おもしろいお話ありがとうございます

こういう気づき、大切にしたいです♪

でしゃばり歓迎ブログですんで、どんどんどうぞ、笑

人間(ヒト)は、「一人」であることを感じ(ることは出来)ても、「一人」でいることは出来ないんじゃないか、

と、私は思いマス。

ひとりでいることは、あたしにとってつらい、こわい、はっきり言って大きらい!でも、自分の道を妥協しないで歩もうと思ったらひとりになるリスクがついてくる。そう気づいたこの頃☆手に入らないものがあって、そのために捨てられないものが多すぎる自分に気づいたこの頃。

人は結局は一人なんじゃないかなぁ。
でも、だからこそ、家族であったり、友達であったり、恋人であったり、一緒に居てくれる人を求めるのではないでしょうか。
そして、誰かといることで自分の存在価値が見つけられるのでは?
だけど、一人でいることも、自分のことを見つめることができていんじゃないかな、とも思うけどね。。。

確かに、深い考えです。
この考えは「なぜ無視はもっともひどい仕打ちなのか」ということを考えることになりそうですね。

人は自己を認識できないことを最も苦痛に感じます。
言うことを聞かない子供を①無視する②ビンタする、この二つを考える。
ビンタして泣くことは自己を認識することはできるが、無視はできない。

この考えは「自己この不思議な存在」という本を以前に読んだことがあり、その中の記述によるもので、私が強く共感した部分でした。
KCご一読あれ。

おはよございます。

>社会的に存在するかどうかは他者と自己との関係によって決まる…

こういう存在の捕らえ方を、間主観的と言います。
自己の境界線を他者との接続で捉えるということです。
これは社会学的なモデルに過ぎないんだけど、この視点から演繹された社会というのは思いやりのある、相互扶助的な社会になります。

ちなみに、主観的な存在モデルからだと、実力主義社会になります。今の実社会を反映してるのはこっちのほうの気がします。

自分だけじゃなく、社会全体として、人間の存在とはどう捉えるべきなのか、考えてみるのも面白いですよ。

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