●国歌を歌わずに教職員処分さるる
国歌斉唱に教職員たちが「服務」しなかったとして、都教育委員会は176人の教職員を処分したらしい。
子どもだけじゃなく、大人も考える力が欠如しているようですね、どうやら。
(続き読みたい方は、>>See all textをおしてね)
この処分の裏にあるのは教員に自由は存在せず、公務員であるが故に国・地方の指示に従わざるを得ないと言うことだ。これをしないと、罰せられるぞ、という誇示の意味もあっての処分だったのだと思う。
教員が、自由を持たないような国は、果たしてどんな教育を行っているのだ?
以前にも書いたが、誰であろうと何かものを教えるときは自らの価値観によらざるを得ないのだ。国がこう考えていると言うことを、伝えるためだけのマシンが教師であるならば、その国の教育は本当に行き先を失っているとしか言いようがない。
養老盂司氏もその著書「まともな人」の中で、「教科書問題に国が首をつっこんでどうのこうのというのは間違っている」と。教科書は、それを使う教員が選んで、間違っていると思ったら墨塗りしたらいいのだ、と。
同じ事が国歌・国旗問題にも言える。自分たちを示していないアイデンティティだと思うのなら、それを必ず受諾しなきゃいけないわけじゃない。
もっと「自発的な」ものであるべきなのだ。
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読売の社説も見てみた。↓にリンクを張ってあるので見て欲しいが、愕然と言うか腹立たしいというか、そのレベルの低さに驚いた。
この論説の主旨はこうだ。
「教育現場のみが現行の制度に反乱を起こしており、それは早急に是正されるべき。その原因は、式の雰囲気が損なわれるためで、社会的な意識の妨げになるからだ。甲子園でもオリンピックでも国家・国旗が振られたようにその自然な態度が育っているのに、教育現場がこれでは行けない」
asahi.com : アサヒ・コム■国旗国歌――起立せずで処分とは
http://www.asahi.com/paper/editorial20040331.html
同じ事に対して、朝日は
「(前略)式を妨害したのならともかく、起立しないからといって処分する。そうまでして国旗を掲げ国歌を歌わせようとするのは、いきすぎを通り越して、なんとも悲しい。 …中略…国旗掲揚、国歌斉唱を子どものときからきちんと教え込むべきだという人もいる。一方で、日の丸や君が代に抵抗感を持つ人もいる。日の丸や君が代は好きだが、むりやり起立させられたり、歌わされたりするのはいただけないという人もいる。 」
と答えている。
むっしゅ氏もそのBlogの中で「朝日よりだ」と答えられているが、おいらもこの件に関しては朝日寄りだ。
教え込むことでしか浸透しない国歌・国旗はそれは本当にNational Identityを示すものではない。彼らが引き合いに出しているオリンピックでは誰が強制したわけでもないのに日本を応援すべく出てきたものが日の丸だっただけの話ではないか。
情けなや。こんな低レベルなお話で揉めている国なのだ、日本は。
コメント
トラックバック入れさせてもらいました。僕もこの問題にはとても関心があるので興味深く読ませてもらいました。
Posted by: FCS | 2004年03月31日 21:13
TBありがとうー。
色々な意見があっておもしろいです。
自分の意見がどこにたどり着くのか
それも楽しみです。
Posted by: k | 2004年03月31日 21:48