●自分の言葉が意味するモノ
ちわっす。2日ほどサボってますね、俺。
風邪はといえば大抵治りました。
ほんとよかったです。先週きつかったですからねー。
外は寒そうです。
今日はコントローラー買いに行くそうです。ヘー。
今日も外は寒そうです。へー。
後でシャワー浴びます。へー。
昨日、価値観の変化について語りました。へー。
そこで話になったのは、望むこと何してもいいのか、ってことが一つでした。
「遊びたいから遊ぶ」
「○○したいから、○○する」
個尊重ですね。
そのしたいことが、反社会的もしくは誰も傷つけないものならしたいことするのも
ありでしょう。
問題なのはそれが社会的に問題がある、もしくは誰かを傷つける場合なんですよね。
「浮気したいから浮気する」
・・・・・そりゃしたかったらしたらいいけど。
そして人はそれを禁止する
「浮気しちゃ、相手の心が傷ついて自分の心が・・・(以下略」
でも、そのうちみんな、自分の言葉になんて一つの力もないことに気づく。
拘束力としての力は、本当にいっぺんも存在しない。
・・・つうことは浮気したもの勝ちですか?笑
これと同じような理論に、
「なぜ人を殺しちゃいけないか」
ってのがある。
法的に罰されるから、じゃあ罰されなかったらいいのか
殺しちゃいけないという道徳があるから、じゃあ道徳信じてない人も居るじゃないか。
こうやって、へりくつ並べていくと、人を殺してはいけない理由はあまりにも少ない。
なぜ殺しちゃいけないかに、明確な答えが出せない。
唯一最後に残るのは、
「自分が殺されたくないだろう?だから、俺もお前を殺さない。」
ちゅう、原始的な交換の原則です。
誰かを殺したいとか、誰かに殺されたいとか殺されそうとか、危険に晒されている
わけではまったくありません、笑
自分の言葉が何も出来ないことに残念におもうとき、誰だってあるでしょう。
そういうときなんです。